エリと申します。

ブログを始めたのは膵炎になったことがキッカケです

検査結果を待つ(2)

痛み止めをもらい続け、朝を迎えた。

 

大分痛みが治まってきたが、痛みに波がある。

退院当日を迎え、旦那が迎えに来てくれたが

痛くてうずくまっていた。

 

医者「結果は恐らく大丈夫だと思います」

エリ「そうですか(ほんとかよ~~っ←心の声)」

医者「でも痛そうですし、退院、先に延ばしましょうか」

エリ「嫌です。帰ります。」

旦那「痛そうだし、入院していたら?」

エリ「嫌です。帰ります。」

 

入院初日14日間と言われたけれど、12日で退院。

 

消化を促す薬と痛み止めを処方され帰宅。

まだ2年しか住んでいないアパートだけど

一番落ち着ける場所。

そこにいることが嬉しかった。

ただ、これからのご飯について考えるのが億劫だった。

(食事についてはまた書こうと思います)

 

退院した日は痛くて寝ているだけで終わってしまったけれど

翌日は元気になっていた。

消化薬が効いたのだろうか。

 

とにかく体を動かさなくては!衰えてしまう!!という

気持ちが強くて、お散歩に出かけた。

土手に咲く小さな草花に癒された。名前もわからない草花たち。

唯一わかるのは見上げる空に光るハナミズキ

ピンクのハナミズキがキレイだった。

 

翌日は、念のためにPET検査を受けた。

(入院した病院にはなかったため、他の病院にて)

可能性は相当低いが、他からの転移がないかを知るために。

 

全ての検査結果が出るまでの数日間、気が気ではなかったけれど

旦那のフォローによって、落ち込んでいられないくらい

体力づくりを目的として外に連れ出された。

(丁度GWを挟んでいた旦那は出掛けたくて仕方ない)

 

診察予約日。検査結果を聞きに病院へ出向いた。

この日は偶然にも令和元年5月1日。

新しいスタートを切りたい!という思いで出向いた。

(旦那が付き添ってくれたのは心強かった)

 

相変わらず待ち時間が長い。

 

まず告げられたのは

ガンではない!ということ。

 

良かった。。。。。。。。。。。。

本当に良かった。。。。。。。。。

ガンになる夢は

「ガンかもしれないって怯える私の夢」

ある意味正夢だったんだ。

 

膵臓は、既に慢性膵炎になっていることに変わりなく

自己免疫性膵炎の疑いということで

今後、診察をするとのこと。

もうそれは仕方ないことだから

ガンじゃなかったことに感謝しよう。

 

入院してからの気持ち

二転三転して書き乱れた気持ち

検査結果を待つまでの気持ち

モヤモヤモヤモヤ、辛かった。

そして旦那の存在に心から感謝しました。

 

年号も変わった2019年5月1日。

私もこの経験を胸に

新たな気持ちでスタートさせようと思いました♪

 

【追記】

・・・・と、この時はスッキリしたような気持ちでいましたが

このあとまだ追加検査でモヤモヤは続くことになるのでした。。。

また後日♪

 

 

 

 

検査結果を待つ(1)

目が覚めると鼻から管が出ていた。

そういえば説明されていたなと思い出す。

スマホで自分の顔を見てみたら酷い顔をしている。

病人のようだ。

麻酔が効いていて、よく眠った。

 

入院11日目。

鼻から採取している液は、胆汁と膵液が混ざったものだろうか?

説明を受けたはずだがよく覚えていない。

こんなドス黒いようなものが

体内に入ってきたものを消化しているのかと眺めていた。

何度か回収していったが、

あの液は、検査後には流しに流して下水道を通っていくのだろうか?

 

何も出来ず、ぼ~~っと一日を過ごした。

順調にいけば明後日退院だ。

 

入院12日目。

最初の説明では鼻に管を通したまま退院まで過ごし

ご飯もそのまま食べるという話だったが

食事を与えられる前に外された。

先生がサッと入ってきて、スッと抜いて、出て行った。

私は痛み止めを何度ももらっていたし

きっとまた炎症が起こってきていたのではないかと推測する。

特に説明はなかった。

 

この日の夜は、ひどくお腹が痛かった。

痛み止めをせがむほど痛かった。

 

看護師さんに「時間をあけないといけないから無理です」と言われれば

「あと何時間ですか?」と聞き返し

時間ぴったりに「痛み止めをください」とナースコールを鳴らす。

 

本当に明日退院できるのか?という痛み。

 

 

 

 

急性膵炎から膵臓ガンの疑いへ(4)

が~~~~~~~ん。

検査の結果、もし手術になれば内臓の中でも複雑な場所なので

大きな手術になるので傷が残るといわれた。

 

膵臓ガンを疑うという

大きなショックを受けた私。

しかも2度目のショックだ。

 

 

 

膵炎の数値が下がらないと、次の検査が出来ないということで

私は引き続き、絶飲絶食&点滴の日々を過ごした。

この数日で、急性膵炎・膵臓ガン・慢性膵炎・自己免疫性膵炎・膵臓ガンと

振りまわさて調べすぎて、お疲れ気味だったけれど

時間はたっぷりあったので

地下の売店で購入した小さなノートに

膵臓について調べまくって書きまくった。

スマホの通信料がかなりかかった。追加ギガを何度もした。

 

気分転換に回復したあとのお楽しみ
ライミングのためにロープワークを復習していたら

看護師さんたちがいつもより多く部屋に来てくれた(ような気がする)

そして沢山話しかけてくれた(ような気がする)

ロープで何かをしでかすのではないかと心配してくれたのかな?!(^^;

 

予定より早く

入院6日目には点滴が外された。体は自由だ。

この頃には起きて本も読めるようになっていた。

あとは病院内をウロウロしたり、ストレッチをしたり、

個室だったので音楽をずっと聴いていられたので

これが本当に心の助けになった。

明るい気分のまま過ごすことが出来た。

 

予定より早くご飯が食べられるようになって

入院8日目の朝。全粥からスタート。

 

9日目には外出届を出した。

ゆっくりゆっくり50分程散歩をした。

桜がキレイだった。

元気になってきたつもりだったけど、歩いてみると病人だと思った。

郵便局によってハガキを購入した。

姪っ子に夏のキャンプについて楽しみにしていることを書いた。

 

ガンになる夢はみたけど、ガンのような気はしない。

 

10日目。

内視鏡的逆行性胆道膵管造営法・通称ERCP。

前回と違う大きな部屋で行われた。大きなレントゲンがある。

作業をしている人数も多い。

寝ている間に検査が終わるとはいえ、急に怖くなった。

でも気が付いたら、終わっていた(笑)

 

エリ「え?もう終わったんですか?」

先生「大変でしたよ~」

 

何が大変だったんだろう?と思いつつ

そのまま眠ってしまった。

ベッドへの移動で看護師さんが大勢いたことを覚えている。

 

あとは検査結果を待つだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

急性膵炎から膵臓ガンの疑いへ(3)

とりあえず、ガンじゃないのね?

よかったよかった。

膵臓が硬化しているってことは、慢性膵炎。

でもネット検索する限り、私はそこまで痛い目にあっていない。

慢性化するにはそれなりの期間というか炎症回数があったはず。

知らない間に慢性化したってことが、自己免疫性膵炎なのだろうか?

 

色々なことを調べすぎて、

私の頭の中はグチャグチャで疲れていて

この日は爆睡できた。

 

翌朝の回診。

 

先生はボールペンを持って

膵臓の図と膵臓周辺の図を書き出し

膵液がどう流れて十二指腸に出るかを説明した。

それを踏まえて

私の膵臓が今どうなっているかを説明をはじめた。

 

説明の途中、偶然旦那がお見舞いにきてくれたので

一緒に話を聞くことが出来た。

 

先生が説明してくれた内容は・・・。

膵臓を通る主膵管が途中から拡張していたので内視鏡検査をしたこと。

内視鏡検査の結果、

主膵管が拡張したというよりは、膵頭部の硬化が特に進んで

主膵管が圧迫された結果、

膵液が上手に流れずに広がったのだろうという判断。

過去に膵炎での入院歴があるわけではなく

過去の私の症状を聞いたところ自己免疫性膵炎の疑いがあり

嚢胞(のうほう)なども見つからなかったことなどを踏まえ

ガンの可能性は低いと判断され

昨日も伝えたのだが・・・・

 

だが?(←私の心の声)

 

自己免疫性膵炎で数値が上がる Ig4とIgG-4が正常値であった。

そして内視鏡検査の他に腫瘍マーカー検査も出していて

その3つの数値が高いことが分かった。

 

ん?(←私の心の声)

 

ここから先の話は

私も細かな説明は忘れてしまったのですが・・・

 

CA19-9(シーエーナイティーンナイン)

DUPAN-2(デュパンツー)

SPan-1(スパン)の3つの数値が高く

どれか二つは膵炎の影響を受けてあがるけれど

どれか一つは膵炎の影響は少ないのに上がっているので

膵炎の炎症が治まったのを見計らって更に検査を進める。と。

 

「それって、どうゆうことですか?ガンの可能性がまだあるってこと?」

「そうです」

 

(おいおい。昨日の軽快なガンじゃない発言は?)

 

 この時、私はふとあることを思い出し旦那に声をかけた。

 

「私さ、数日前に胃ガンになる夢を見てさ、

寝起きに旦那くんにその話したの覚えてる?

胃ガンじゃなくて胃の裏のだったね」

 

旦那「そんな話、今はいいから」

  「あとにしなさい」(怒り気味)

 

が~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん。

(いろんな意味で)

 

     

 

 

 

 

 

 

 

急性膵炎から膵臓ガンの疑いへ(2)

不安をいっぱい抱えながら

EUS(内視鏡的超音波)の検査へ。

 

検査時間は約30分。

寝ている間に終わるそうだ。

全身麻酔と、寝ているだけの麻酔は違うらしい。

大きな手術室をイメージしていたが小さな部屋だった。

 

心電図モニターが見えた。

まずは喉の局部麻酔(不味い)

口が閉じないように固定されて注射をされて

「眠くなりますよ~」のあとは覚えていない。

検査は終わっていた。

 

夕方、回診に来た。

完全に担当医が変わっている。

内視鏡検査説明してくれ内視鏡検査をしてくれた先生)

 

「ガンは大丈夫そうですね~」

随分サクッと言ったぞ?

それまでガンなんて一言も言わなかったのに!

 

検査は有名大学のドクターが来ていて一緒に見てくれたそうだ。

 

「ガンで膵管が拡張したわけではなくて、

膵頭の部分が硬化して膵管が狭くなってしまったので

膵液が鬱滞(うったい)して、膵管が拡張した可能性が高いですね~」

 

「過去の症状を聞いて、自己免疫性膵炎の可能性も視野に入れていますが

これも検査結果でわかるでしょう」

 

腫瘍マーカーも出してあるんでその結果を待ちましょう」

 

 

先生が明るく爽やかなおかげか、

話が深刻にならなくて

「ガンじゃなくて、あぁ、よかったです」となってしまった私。

 

一人になったとき、疑問が湧きだす。

サクッと、明るく、なんか結構すごいこといってたぞ?

 

 

膵臓が硬化しているって何? 

慢性膵炎ってこと?

私、初めて膵炎になったんですけど?

もう慢性化しているの?

膵管が拡張したんじゃなくて、狭窄したの?

それってどうゆうことだ?

自己免疫性膵炎って何?

 

私の気持ちは休まらない。

 

っていうか、本当にガンの疑いははれたの??

 

 

 

急性膵炎から膵臓ガンの疑いへ(1)

私の頭の中はグルグルだ。

 

え?急性膵炎じゃないの?

え?ガンの疑いなの?

膵臓 膵管 拡張」Enter

なんでガンしか出てこないの?

ガン以外のサイト、ないの?

膵臓ガンって、助からないんだよね?

いやいや、膵臓ガンだったとしても

超早期でラッキーなんじゃない?

いやいや、まだ若いんだから相当進行早いよね?

 

・・・・堂々巡りだ。

 

スマホを置いて、色々想定してみた。

 

まず一旦腹をくくって、

本当にガンだったらどうしようか考えた。

一番に浮かんだのは

「あぁどうしよう。旦那を看取ってあげることが出来ない。。」

涙が溢れた。

 

何故『看取る』話へ飛んだのかというと

ある日、私が旦那に約束したことに遡る。

約束というのだろうか、、、私が勝手に宣言した。

「私がSくんを看取ってあげるね♡」

 

何故こんなことを宣言したのかというと

夫婦揃って40歳を超え、倍の80歳まで生きたとして

私たちはどうゆう老後を送っているんだろうと

あれ?私達が死ぬとき、どうなる?と

1人妄想していたことに始まる。

 

私の考えはこうだ。

ちょっぴり複雑な家庭環境に育った旦那。

私達には子供がいない。

仮に旦那が先に死んで私が残されても、

私はきっと死ぬ前に何か手立てを打つ。

私が先に死んで、旦那一人残されたら、

誰とも連絡を取らなくなった旦那は孤独死して発見が遅れる。

そうなったら切ないから

私が旦那を看取ると宣言した。

 

旦那はキョトンとして「俺が先に死ぬの?」と質問されたが

要するにそうゆうことになると私は返事を返した。

その約束が守れない。

 

・・・・ということに泣いた。

 

ガンと想定して、まず一番初めに思ったことがそれだった。

だったら、私の行動としてはこれからどうすればいいのか?を考えていた。

(どんな準備をするべきかと考えたことは省略)

 

次に、もしガンだったとして

超早期発見で、超ラッキーで切除して完治したら、本を書こうとか

ガンじゃなくて、過去に例のない病気だったら

テレビに出ちゃう?ドラマ作っちゃう?

私の人生のアレははずせないな♪・・・・などと妄想する。

 

あれ?さっき先生が「最悪の場合、切除」って

そうゆうことなの?と

『 膵臓ガン 切除 』検索

あれ?ガンって、どうやってステージ決まるんだ?

また検索。

 

この日は妄想と疑問がエンドレスで

全く眠れなかった。